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「できる!」がふえる!英語で1分間自己紹介

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一般的に翻訳者は
あいまいな日本語が苦手である。

 

すばり、訳しにくいからだ。

 

翻訳の仕事は、
その言葉が伝えようとしていることを
前後の文章も参考にしながら
別の最適な言語に置き換え作業である。

 

しかしその言葉が
オブラートで包んだような
いろんな意味に解釈できるものだと、
ピタッと当てはまる最適な言葉を見つけにくいのだ。

 

日本語はそんな言葉が多いと感じる。

 

ちょっと前まで耳ざわりだったのが
「残念」と「不適切」。

 

「残念な人」
「残念な回答」

 

程度はどのくらいなのか。
おしいのか、全くダメなのか。
具体的に何がいけないのか。

 

全然わからない…。

 

「不適切な関係」
「不適切な内容」
「不適切な処置」

 

具体的に何が問題なのかを
書かないと、
どこに問題があるのか
どのくらい問題が深刻なのか
どう対処すればいいのか
読者にはさっぱりわからないじゃないの。

 

そして最近極め付きで
イライラっとするのが
「目詰まり」。

 

私が最初にこの言葉を
目に耳にしたのが
安部首相の会見である。

 

日本のコロナ検査の対応が
海外と比べて後手後手になっている
という指摘について
安部首相がこういったのだ。

 

「PCR検査の目詰まりが起きている」

 

言いたいことはわかる。
同じ日本人だもの。

 

なんか計画通りに
うまくいっていないということね。

 

でも何だか他人事のように聞こえ
問題や責任の所在がわかりづらい。

 

「目詰まりを起こしている」は、
日本のPCR検査数が
海外と比べて伸び悩んでいるのは
なぜなのかという問いに対する
回答になっていないように感じる。

 

検査キットが十分に入手できないのか。
検査する医療従事者が不足しているのか。
検査できる場所が十分でないのか。

 

誰が何をすれば
この問題は解決するのか。

 

これだけ切羽詰まった
大きな問題に直面している時には
「目詰まり」という言葉に覆い隠すのではなく、
問題や原因を明らかにして
早急に対応策を取るべきだと思う。

 

「目詰まり」という言葉は
主語や動詞をうまくオブラートに包み
責任の所在をあいまいにしているように感じる。

 

言葉はその国の文化を
よく表すものだと感じる。

 

また信じられないことに
この首相の発言以降
一流メディアも「目詰まり」を
頻繁に使っている。

 

情報の目詰まり
支援の目詰まり
人的な目詰まり

 

確かに包容力が高い
便利な言葉のようである。

 

でもメディアこそ
問題の所在を明らかにすることが
使命ではないのか。

 

そのメディアが
安易な方、無難な方に
流れてはいけないのではないだろうか。

 

あいまいな言葉使いは
イライラを超えて
国の存亡にかかる
危機感すら覚える。